大判例

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名古屋高等裁判所 平成元年(ネ)386号 判決 1990年8月31日

平成元年(ネ)第四三五号事件控訴人・同第三八六号事件被控訴人第一審原告 大海勝則

右訴訟代理人弁護士 伊神喜弘

平成元年(ネ)第三八六号事件控訴人・同第四三五号事件被控訴人第一審被告 株式会社中部日本広告社

右代表者代表取締役 工藤利明

右訴訟代理人弁護士 野島達雄

同 中村弘

主文

第一審原告の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し金三七〇万一〇六三円及び内金三五〇万〇五八三円に対する昭和六一年一一月六日から、内金二〇万〇四八〇円に対する同六二年一〇月一〇日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第一審原告のその余の請求及び第一審被告の控訴をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審をつうじて六分し、その一を第一審原告の、その余を第一審被告の負担とする。

この判決は二項につき仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

(第一審原告)

1  原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し金四三二万一八三一円及び内金三五一万五二九一円に対する昭和六一年一一月六日から、内金八〇万六五四〇円に対する同六二年一〇月一〇日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  第一審被告の控訴を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

4  第一審被告に対し金員の支払を命ずる部分につき仮執行の宣言

(第一審被告)

1  原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告の請求及び控訴をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。

二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次の付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決五枚目表六行目の「退職金」の次に「の支給条件が、就業規則、労働協約、労働契約等で明定されるか、その算定基準が確定できる慣行が形成されている場合には、単なる恩恵的給付でなく、労働基準法一一条の労働の対償として賃金としての法的性格が与えられているものというべきである。すなわち、退職金」を加え、同八行目冒頭の「退職金」から同九行目の「労働条件の」までを「支給条件の明確化、退職金制度の社会化と普及、及び労働条件が単に毎月に支払われる給料だけでなく、退職金制度の有無、そしてその支給額如何が」と改める。

同五枚目裏六行目の次に行を改めて左のとおり加える。

「すなわち、第一審被告の従業員に対する賃金は固定給と歩合給(奨励金)に別れ、歩合給は給与支給明細中『前払金』の欄に出てくるものであり、これは給与計算期間中の契約額により定められる。固定給は基本給、役付手当、家族手当、精勤手当、外勤手当、住宅手当、補正金であるが、退職金算出の基礎となる基準内賃金はこのうち基本給と役付手当のみであり、毎月の支給額に占める割合は約五〇パーセントと低いものである。支給率は勤続三年の場合を二・五とし、勤続年数が一年増えるごとに、一〇年までは〇・五を、一一年から三〇年までは一を、三〇年を超えるときは〇・三を加えるとなっており、勤続年数が増える毎に一定率で増加する構成となっている。しかも、勤続年数に端数月のある場合は、月割計算をすることになっている。すなわち、支給乗率は勤続年数の増加と正比例して増加することとなっている。一般に退職金乗率は、勤続年数が長期化するにつれて係数の上昇率が急カーブを描く場合が多い中で、第一審被告の支給乗率の右の如き定め方は、同被告の退職金が後払賃金としての法的性質を裏づけるものである。

退職手当支給規定四条一項は『本人の希望により退職したとき、私事により休職期間が満了して解職されたときは別表3の減率を適用する。』とするが、これは前記支給乗率の修正にとどまるものであり、支給乗率が勤続年数の増加といわば正比例して定められている方式を変更するものではない。また、勤続二〇年以上は減率〇となっており、自己都合退職のときでも、減率されないこととなっており、後払賃金性が顕著である。

因に、被告会社の退職手当支給規定で功労報償的な規定は五条の『在職中特に功績顕著な者に対しては、前条にかかわらず特別功労金を支給することがある。』との規定のみである。」

同五枚目裏七行目の「前記退職手当」から同一〇行目の「構造」までを「第一審被告の退職手当支給規定によれば、同四条の定めで算出される退職金債権を退職時に該当労働者が取得する構造になっている。これは、自己都合退職以外においては退職と同時に退職金が支給されることになっていること、自己都合退職の場合も同規定六条にて『六か月以内に支給する。』と定めていること、自己都合の場合のみ支給時に初めて支払われるべき退職金の額が算定されると解するのは、退職手当支給規定の全体の均衡を著しく失すること」と改める。

同六枚目表六行目の「条項は、」の次に「従業員の退職を制限し、かつ、」を加え、同八行目から九行目にかけての「を支払わないという手段を用い」を「の支払を拒み、退職金に退職直後の生活を保障するとの役割が期待されていることを否定す」と改める。

同七枚目裏八行目の「同年一二月」から同八枚目表一行目の「カットされ」までを「支給されるべき奨励金と各賞の全額の支給を停止され、かつ、同年一二月付で部長より部長代理への降格(これにより役付手当が月額二万五〇〇〇円から二万円に減額)、同月から同六一年二月まで総支給額の一〇分の一の減給、奨励金の支給停止、各賞の二分の一の減給との内容をもつ懲戒処分を受け、更に同六〇年一二月に支給される賞与についても大幅に減給された。このため、第一審原告は」と改める。

同八枚目表五行目の「奨励金」から同九行目の「みるべき」までを「第一審被告は、その程度を超え、前記のとおり同僚の面前で執拗に第一審原告の責任を追及するなどして、同原告の名誉感を損ない、信用を喪失させたばかりか、給与・賞与の面でも大幅な削減をして経済的に困窮させ、これ以上第一審被告に勤務することに絶望させて、退職に追い込んだもので、解雇と同視しうるもの」と改める。

同一一枚目裏九行目の「一二月」の次に「四日付け」を加える。

同一三枚目表三行目の次に行を改めて、左のとおり加える。

「すなわち、第一審被告においては、従業員に対し、前年度の支給基準を前提として次年度の賞与を支給するとの慣行が確立していたものであるから、それは労働基準法九一条の規制を受けるものである。」

同一四枚目裏一行目の次に行を改めて、左のとおり加える。

「(九) 第一審被告は、昭和六〇年一二月四日付で第一審原告に対し、同原告が同年九月一二日以後岡崎支店の勤務を怠り、かつ、倒産会社関連先と取引したとの事由に基づき、部長から部長代理に降職するとともに、同年一二月から三か月間減給する旨の懲戒処分に処したが、右の処分のうち降職は前記就業規則四七条(3) の、減給は同条(2) の各懲戒処分にそれぞれ該当する。しかし、同一事由に対する懲戒処分は同条(1) ないし(4) の一つに限られるべきであるから、第一審原告になされた右の懲戒処分は、同一事由に対し二つの懲戒処分がなされたものとして、違法無効というべきである。

したがって、第一審被告は、第一審原告に対し、労働契約により使用者たる同被告に与えられた懲戒権を違法に行使したものとして、同原告がそれによって被った損害を賠償すべき責任を負担したものというべきところ、同原告の右損害は、降職にともなう役付手当の減額、賞与及び奨励金を含む給与の減額の総てである。

よって、第一審被告に対し右損害のうち前項(七)と同額の賠償を求める。」

同一五枚目表三行目から四行目にかけての「行賞」より同五行目末尾までを「従業員の意欲を刺激するために就業規則に定める給与の外に設けられた文字どおりの奨励金であって、第一審被告において予め定められた額の支払義務を負うものではない。また、その査定基準は公表されておらず、同被告において何時でも廃止することができるものである。」と改める。

同一五枚目裏二行目の次に行を改めて、左のとおり加える。

「(六) 第一審被告が昭和六〇年一二月四日付で第一審原告に対し、その主張にかかる懲戒処分をなしたこと、右処分のうち降職が就業規則四七条(3) の、減給が同条(2) の各懲戒処分にそれぞれ該当することは認める。

第一審被告の行った右懲戒処分は、減給と降職を併科したものである。懲戒処分は、その性質に矛盾しない限り併科することが許されるものであり、同一事由をもって分限処分と懲戒処分を二度にわたって行う場合とか、懲戒処分を前後二度にわたって行う場合とは評価を異にし、一事不再理の適用はない。

右主張に理由がないとしても、それは併科の限りで違法な処分となるのであって前記懲戒処分の総てを無効とするものではなく、減給ないし降職のいずれかが効力を生じないというにすぎない。」

2  当事者双方の付加した主張

(退職金請求について)

(一)第一審被告

(1)  第一原告の退職にいたる経緯及び退職前後の行動について

第一審原告は、昭和六〇年当時、第一審被告に二三年余の長期間にわたって勤務する営業担当者で、数多くの顧客を担当し、部長に昇進して会社の中枢に位置する地位にあり、自ら担当する部門の外、所属の部下を指揮監督し、業務を支障なく遂行する責を負っていた。しかるに、同年四月一日第一審被告岡崎支店長代理兼務となったにもかかわらず、同年九月中旬以降その業務を遂行しないばかりか、同被告において禁止されている倒産会社関連先との取引を行い、社内規則によって外注は製作部長を経由して発注することとなっているにもかかわらず、ちらし製作を自ら発注し、かつ発注先に対し、同被告宛ての請求書発行を一時差し止めようとするなどした。倒産関連先からの回収についても、自らが立替えたものであるのに、同被告に対して正規の回収であると報告していた。これら所為は部長の職にあって、部下に範を示さなければならない立場にある者として採るべき行動とはいえず、かつ同被告の社内秩序を破壊するもので、到底容認し得ない所為というべきものであった。このため第一審被告では、第一審原告に対する懲戒処分として懲戒解雇が検討されたが、同原告の年齢、勤続年数などを考慮して、前記処分にとどめたのである(なお、右処分は、減給をわずか三か月という短期間に止めるもので、第一審原告に対し経済的圧迫を加えるものではない。)。

しかるに、第一審原告は、右処分後の昭和六一年二月一三日、突然第一審被告に同月一五日をもって退職する旨の退職願を提出した。この退職願提出のやり方は、第一審原告の担当していた業務について引継ぎを行う時間的余裕を全く与えようとしないもので、同原告の社内における地位からみて常識的なものであるとはいえず、第一審被告の就業規則四二条の趣旨に反するものである。しかし、第一審原告は、第一審被告専務取締役大嶽公一の慰留を振り切り、後任者に充分な引継ぎをなすことなく、同月末強引に退職し、退職金について本件不支給条項があることを承知していながら、退職直後の同年三月には広告代理店を開業して営業活動を始め、同被告の取引先との取引を開始した。

第一審原告の右退職願提出前後の行動は、予め同原告が策定した計画に沿った一連のものであったといわざるを得ず、退職後他に適当な職業を見出すことが困難な状況にあったため、己むなく広告代理業を自営するにいたったものではない。それは、第一審被告より退職金を受け取るよりも、在職中の得意先との親密な関係を活かして広告代理業を営む方が有利であると判断し、経済人として行った選択の結果であったとみるべきである。このことは、退職後の六か月間を取上げてみても、取引高数値三一六八万余円と粗利益がその一〇パーセントを超える事実から明らかであり、その後も取引は継続されているので、第一審原告が第一審被告の取引先から受注することによって得た利益は巨額のものに達している。

第一審原告の退職後の競業行為は、右に主張したとおり従業員としての義務に違反し、かつそれが計画的に行われた点で不公平な方法によってなされたものということができる。

(2)  第一審被告の従業員に対する退職金が在職中の功労報償的性格をもつものであることについて

第一審被告の退職金制度の財源は全額使用者負担となっており、従業員の積立方式あるいは一種の共済方式など、従業員にその一部又は全部を負担させているものではない。このような方式のもとでは、退職金制度が就業規則を介して労働者に重要な労働条件の一として意識され、労働者側からは労働の対償として観念されている場合であっても、退職金支給規定上で退職してゆく従業員を総て一律に取り扱う必要はなく、どの程度の退職金を、どのような場合に支給するかを使用者側において或る程度区別して決定し得るものとしたとしても、決して不合理なものとはいえない。どの程度の退職金を、どのような場合に如何に支給するかは、退職金の基本的な性格をどのように位置付けるかによって決定されるにしても、その理解は教条的かつ一義的なものであってはならず、会社の規模・業種・従業員数・退職金の財源・当該従業員の貢献度や退職の経緯等一切を勘案し、かつ経営者の思想をも反映させて、具体的な事例に即して妥当な結果が得られるような就業規則上の配慮は、規定の仕方が明瞭で使用者の恣意が介入する余地さえなければ、使用者従業員双方がこれを前提として行動し得るのであるから、その団体の法規範として容認されるべきもので、労働者の権利を不当に侵害する虞はない。

本件不支給条項は、退職金制度が第一審被告のみの出捐により運営され、かつ退職手当支給規定において、懲戒解雇の場合には不支給、退職の事由如何によって支給額を異にすること、功績顕著な者に対しては特別功労金の支給があること、本件不支給条項該当の場合にも退職金支給がなされる場合があることなどが定められていることから、少なくとも、それは功労報償金の性格を色濃く帯びているものといえる。

(3)  仮に退職金が賃金の一種であるとしても、労働基準法二四条が定める賃金全額払の原則は、使用者が恣意的に一方的な賃金控除を行うことを禁止し、労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことがないようにその保護を図ることをもって趣旨とするものであるから、それはまず、労働者の日々の生活維持に不可欠な賃金そのものである場合と、それ以外のもの、例えば退職金である場合とでは自からその適用に差異があり、また、同条には例外も認められている。例えば、争議中の賃金、懲戒処分の一として減給が実施される場合など、法令や就業規則の適用のうえで賃金などの不発生ないしは減額が承認される場合には、同条の全額払の原則の適用はない。退職金規定の適用において、退職金不発生が承認されるのであれば、同条違反とはならないのである。本件不支給条項が違法であるか否かは、同法二四条が存在するか否かによって判断されるのではなく、本件不支給条項が同法の他の規定ないしは他の法令に違反するという判断を受けて無効とされる場合に、初めて不支給の状態が同法二四条違反となって所与の効果が発生するというに過ぎない。

なお、退職金の性格が賃金の後払的性格を持つものであるとすれば、今日一般的に承認されている懲戒解雇の場合に退職従業員が退職金を受給できないことを全く説明することができない。懲戒解雇の場合には、使用者に対し直接または間接の被害を与えることとなるから、その被害を補填する意味で退職金の受給権が失われると説く者もいるが、第一審被告の就業規則四六条所定の懲戒事由のどれ一つを取り上げても、それに該当する行為によって同被告が受ける損害は、第一審原告の今回の行為によって同被告が受けた被害に比すれば軽微なのである。

退職金を賃金の一種と考え、発生した退職金の受給について賃金に相応する保護を与えるにしても、退職金は退職従業員の功労に報いるものであるとの、退職金の持つもう一つの基本的性格を払拭することはできないのであって、その発生・不発生や増減を退職従業員の行為にかからしめ、その評価を使用者側の恣意的判断に委ねるのではなく退職金支給規定の明文に従って定型的に行うことは許されるものとしなければならない。このように解しても、退職金支給規定が法規範として通用する形を整えているものであれば、労働者にとって何等不利益ではないからである。

(4)  第一審被告が従業員に対し退職後の競業避止を要請することは、その理由が合理的なものである場合、また、その期間や場所的範囲等が従業員の職業選択等の自由を過度に侵害するものでないなど、競業避止の内容が合理的なものであるときには是認せられるべきものである。

まず、第一審被告のような中小規模の広告代理店においては、全国的に展開している経営基盤の確立した広告代理店と異なり、営業の特殊性から主要な従業員の退社・同業への移籍ないしは独立が直ちに事業所の閉鎖・縮少、これに伴う人員の整理、あるいは倒産廃業に繋って全従業員を解雇する最悪の事態に発展してゆく契機となることは珍しくない。そして、第一審原告は、右事情を熟知していたものというべきである。すなわち、第一審被告は、岡崎支店のほかに、豊橋支店をも設けていたが、豊橋支店長であった阪野の退職と同人の広告代理店の自営によって、同支店の規模を縮少し、豊橋営業所として岡崎支店の管轄に入れざるを得なくなった。その後、岡崎支店長江崎の退職と同人の広告代理店の自営によって更に打撃を受け、同支店及びその管轄下の豊橋営業所の営業成績は極端に低下した。第一審被告が昭和六〇年四月一日付で第一審原告を岡崎支店長代理として同支店に派遣したのは、同支店の建て直しを目的としてなされた人事であり、後には神谷和美が同原告と同様に支店長代理の資格で同支店に増派された。しかし、同支店の退勢を逸回することができず、同六一年一月には豊橋営業所閉鎖の事態を迎えざるを得なかったのであり、同原告はこのことをその衝に当った者として目のあたりにし知っていたからである。したがって、退職従業員に対し、退職の影響が希薄化される極く短期間内の競業避止を求めること、そして、それを実効あらしめるための措置として退職金の不発生をかからしめることには、退職金そのものが第一審被告の全額負担において退職従業員に支出されるということをひとまず措くとしても、決して不合理なものであるとはいえない。

次に、退職金には退職直後の労働者の生活を保障する役割が期待されていることは明らかであるが、退職金のもつ右役割をそのまま本件に当てはめることは相当ではない。すなわち、第一審原告は、第一審被告在職中に培った顧客との親密な関係を用いて退職直後から同被告の取引先と巨額の広告媒介を行ってその利を得ている。退職後の六か月間のみをとりあげても三一六八万二八二一円に達し、同期間の第一審原告の売上高の九三パーセントを占めている。それは第一審原告の個人的資質、能力のみによる顧客の吸引ではなく、第一審被告の力を背景として営業活動をしてきたことによる成果の利用に外ならない。第一審原告もこのことは弁えていて、退職に当って第一審被告担当者から本件不支給条項の説明を受け、かつ同担当者の算出した第一審原告に対する退職金の額が三五〇万余円であることを告げられた際に、その程度の金額ならば要らないとして、それを放棄しているのである。第一審原告は多年に亘る広告代理店営業に関する経験や知識と経済人としての自由な判断のもとに、退職後六か月間競業を避止して退職金の支給を受けるか、あるいはこれを返上して競業を行い利益を得るか、いずれが有利であるかを比較衡量して後者を選択し、かつ成功を収めたものであって、このことは、同原告が自らの判断により退職金受給権及び退職金による退職直後の生活保障を受ける権利を放棄したものというべきである。

また、本件不支給条項による退職従業員に対する競業避止の要請は六か月間という極めて短い期間であるほか、退職手当支給規定第六条但書は競業退職者に対しても退職金支給がなされる場合のあることを示している。これは、第一審被告の営業と地域的に重ならない地区において同種営業に従事する場合、あるいは同被告の了解を得て同業他社に転職する場合などがあるからで、本件不支給条項が職業選択の自由を不当に制限するものということはいえない。

(5)  仮に、本件不支給条項が無効のものと判断される場合について、予備的に次の主張をする。

法律行為が意思解釈あるいは強行法規適用上の問題点から無効とされる場合でも、それが一定の限度を超える結果無効とされる場合には、その限度内では有効のものとして取扱うことが合理的と考えられるときには、無効の効果を全体に及ぼすのではなく、当該法律行為を修正し、残部を有効とすることが妥当と考えられている。法律行為には、背景にそれを必要とした理由があり、また当事者の同意という事実があるのであるから、現行法秩序に反しない限度で極力有効なものとして取り扱われなければならない。

このように、対象となる法律行為の無効原因が現行法秩序と基本的に相容れない性格を帯びている結果、無効とされる場合はともかくとして、無効の理由がいわば量的な観点から無効原因を構成すると判定される場合には、その限度を超えた部分を無効とし、その限度内の部分を有効として取り扱うのが正当とされなければならない。

本件不支給条項は、第一審被告のおかれた立場から、企業とその従業員の労働の場を防衛するために設けられたものであり、その合理性については、既に主張してきたところであって、現行法秩序の上で存在を許されないものではなく、この種の不支給条項の効力を部分的に承認するのを相当とする場合もなくはないと解されるのであるから、その限度内で本件不支給条項を有効とすべきである。

(二) 第一審原告

第一審被告の主張は総て争う。

第一審被告は、第一審原告が倒産会社関連先と取引したと非難するが、同原告の取引した山口純史は倒産した会社の従業員であったのであり、同人と取引するさい倒産会社の関連先との認識はなかった。しかも、同原告は、同人と取引するについて前金を預ることを条件としていたのであるが、手形をもらったのは同人が前言を違えたためであり、手形をもらったとき、その裏書に『サンライフ住宅代表者明瀬高子』と『明瀬高子』の名があって、初めて山口純史が倒産会社の経営者と関係のあったことを知ったものである。

社内規則によって、外注は製作部長を経由して発注することになっていたことは認めるが、それは定められたばかりであり、遵守している者は少なかった。なお、第一審原告は、発注後製作部長に対し、メモ用紙にちらしの配付地区を記載してその配送を依頼し、これをうけて製作部長は運送会社の中日興業に運送を発注し、ちらしを販売店に持参している。このとき、製作部長より格別注意されたことはない。

第一審被告は中小規模の広告代理業者の実情、特に従業員と顧客の結びつきと退職後同業他社への就職による顧客の転職先への移転とそれによる不利益を強調するが、第一審被告での就労期間が長期化すればするほど当該従業員が同種業界でしか生きていけなくなることも、第一審被告において容易に予測できることである。また、労働者が、企業に働く中で技能や人間関係を培い、それを資産として生活していくことは、否定されるべきことではない(それを否定したら社会生活全体が成り立たなくなる)。したがって、使用者において従業員の退職後の転職先について規制する条項を違法としても、予想外の不利益を受けるものでもないし、仮に、ある程度の損害をうけても社会的に受忍すべきである。

また、第一審被告は、本件不支給条項を一定の限度内で有効なものとして取扱うべきである旨主張する。しかし、退職金が後払賃金としての性格が顕著であること、第一審被告の退職金算定の基礎から算定される退職金額が小額であること、勤続年数二三年という長さに対してその低さが顕著であること、したがって、算出された退職金額を更に減額した場合、退職金としての意味がほとんど没却されること、他事例と相違して退職金の支給時期が六か月以内とされていること、現に退職しても支給せず、退職後の生活を著しく不安定にしながら、第一審被告の立場のみを一方的に強調して競業避止を要請し、退職後の労働者の生活に対する配慮を欠いているといわざるをえないこと、このような事情の下で右主張を認めることは使用者の裁量権を一層拡大し、労働者に対する支配力を強め、その地位を著しく不安定にする結果を招く虞れが大きいこと、以上から本件において一部無効の理論が適用される余地はない。

(奨励金及び賞与について)

(一) 第一審原告

奨励金は金額に多少の増減があっても、長年にわたって殆ど例外なく毎月支払われてきたものである。査定基準は従業員に明示されていないけれども、存在しており、かつ、その査定基準で最も重視されるのは、営業社員については営業実績であり、査定にさいして営業の実績以外の勤務態度等が判断要素になっていたとしても、給与にしめる基本給と奨励金の比重、すなわち、第一審被告の賃金体系は基本給を極めて低く抑えているため、奨励金が毎月給与に占める比重は極めて大きく、給与の半分を占めており、従業員にとって不可欠の賃金費目となっていること等を考えると、勤務態度等は従たる査定基準というべきである。だからこそ、従業員としては奨励金の明細まで算出できなくても営業実績より支給されるべき奨励金の額は予測できたのであり、毎月の生活につき極めて大きな比重を占める賃金としてあてにしていたのである。

因に、別紙(一)表の奨励金(いわゆる広義の奨励金)は、即金賞、担当賞、マガジン賞と狭義の奨励金とからなり、それは、毎月給与支給日(二五日)前の二〇日に支給され、給与支給日に前払金として処理され、源泉徴収、社会保険料算定の算定賃金とされているところ、右の広義の奨励金のうち右の各賞は、前月一日から末日までの間に予め右各賞に該当するものと定められた業務を達成した従業員に対し一定の基準に従って支給されているものである。したがって、広義の奨励金のうち右の各賞については、その算定について予め定められた明確な基準があり、その基準に従って機械的に算出され、支給されているもので、裁量の余地のないことは明らかであるから、労働基準法九一条に定める賃金に該当するものというべきである。

(二) 第一審被告

奨励金について

第一審被告が従業員に支給する奨励金(広義の奨励金)は、狭義の奨励金と賞とからなっている。この両者にはそれぞれ一応の基準があり、賞については、その基準に基づく金額算出が可能であり、その算出は第一審被告の専務取締役によって行われるが、その算出金額が単純に広義の奨励金額の一部を占めるものではない。広義の奨励金の金額は、算出された賞を参考として第一審被告代表者が経営者として従業員の勤務状況を総合判断して最終決定するものであるからである。

(1)  賞には次の各賞があり、その対象者と一応の算出基準は次のとおりである。

即金賞 受注と同時に広告料を受入れるなど、広告媒体による広告掲載や放送・放映の前に広告料を受入れたときは、第一審被告としては集金に要する経費が必要でなく、また回収不能の事態をも回避できるので、その報奨として入金額の〇・〇〇三パーセント

担当賞 新聞紙上の特別な箇所(夕刊大突角)の広告受注を促進するために受注したときに報奨として金一万円

マガジン賞 就職マガジン誌の広告を受注したときに、同誌への受注促進のための報奨として、広告料から製作費等を差し引いた粗利益の三五パーセント

但し、右は一応の算出基準であり、前記の如く第一審被告専務取締役のもとで一応算出され、同代表者に広義の奨励金査定の資料として送られることとなる。

(2)  狭義の奨励金の対象者と一応の査定基準は次のとおりであり、営業担当従業員の外、内勤の事務担当従業員も受賞対象となる。

営業担当者については

<1> 査定期間の会社全体の成績を基本とする。

<2> 査定期間内の対象者の営業実績を粗利益の面から検討する。

<3> 次いで、右営業実績を挙げた過程を対象者の創意・努力等の面から検討する。

<4> 対象者の会社内地位を考慮して、対象者の努力・熱意・責任感等の勤務態度、勤務状況(出勤、欠勤など)を職責を全うしているか否かで評価する。

<5> 前記賞の算出金額を考慮する。

<6> 数人が共同して、あるいは主担当者を他の者が補助して営業成績を挙げたときは、そのメンバー内での貢献度も評価される。

内勤担当者については

<1> 査定期間の会社全体の成績を基本とする。

<2> 次いで、会社内地位や担当部門を考慮して、勤務実績を評価する。この場合、媒体・得意先との折衝、原稿制作、回収業務等での営業の側面的援助も評価対象となる。

<3> 同様に、会社内での立場を考慮して、対象者の努力・熱意・責任感等の勤務態度、勤務状況(出勤・欠勤など)を職責を全うしているか否かで評価する。

<4> 前記賞の算出金額を考慮する。

(3)  奨励金の金額決定

奨励金の額は右の基準に基づいて決定されるのであるが、営業担当従業員にあっては営業実績を重視するものの、それに捉われることはない。努力しても、競争会社があって受注に結びつかないこともあり、他方、上司や同輩の努力あるいは極めて偶然の事情によって担当者本人の努力無しに営業成績を挙げ得ることもあるからである。この意味で賞として算出された金額や、その対象となった業績に対する評価は原則として奨励金額決定の一要素にしか過ぎず、算定金額が広義の奨励金の中の確定した金額となるものではない。このように、奨励金の査定基準は極めて弾力的なものである。それはあくまで第一審被告代表者が全従業員を経営者として総合的に評価し、各人の努力・熱意・責任感に基づく行動、すなわち、会社に対する貢献度の度合いであるが、これに対する報奨として奨励金が位置付けられているからである。そして、そのため従業員の貢献の総和としての会社全体の月間成績が金額の決定に当り大きな比重を占めることとなる。

賞与について

(1)  第一審被告における賞与の査定は、概ね次の手順及び方法によって行われている。

まず、支給期の会社全体の成績を勘案し、会社が賞与として全社員に支給する総額(枠)を決定する。次いで、この枠から各事業所(本・支店)の成績を考慮し、事業所別に枠の配分をする。その後、各事業所毎の個人分配を決定する。

営業担当従業員についてはおよそ次の基準による。

<1> 営業成績(概ね営業担当者に対する前記狭義の奨励金査定基準<2><3><6>に該当)

<2> 社員姿勢(概ね右<4>に該当)

<3> 企業内人材としての将来性

内勤事務担当従業員についての基準

<1> 勤務成績(社内機能を円滑、順調に回転させているか否か。概ね内勤担当者に対する前記狭義の奨励金査定基準<2>に該当)

<2> 社員姿勢(概ね右<3>に該当)

<3> 企業内人材としての将来性

(2)  第一審被告代表者が右基準を適用する場合に、査定のうえで大きな要素を占めるのが、奨励金の査定と同様に対象社員の社内地位からみた評価である。企業は組織として行動するのであるから、社内における役職、立場等からみて、対象社員がその立場等を全うしているか否かは会社の業績に直接の影響を与えるからである。

(3)  第一審原告の昭和六〇年一二月期の賞与を査定するに当って、同原告の勤務評価を行い前記査定を行ったのであり、減給の制裁として行われたものではない。

奨励金や賞与が労働基準法上の賃金であるとしても、前記のとおり奨励金の査定は対象期間の会社全体の営業成績を基準とするなど極めて弾力的なものであり、第一審原告と同じ営業担当従業員であってもその支給額には相当の開きがあり、また毎月の支給額にも凹凸がある。それは営業実績のみを基準とするものではなく、対象期間における対象者の行動を経営者の眼から見て総合判断されることによる。賞与も同様である。このように、これらの支給は第一審被告の査定によって初めて確定するものであるから、同法九一条が前提とする支給額の確定している賃金ということはできない。

三  証拠<省略>

理由

一  退職金請求について

1  第一審被告が広告業を営む会社であること、第一審原告が昭和三七年同被告に雇用され、同六一年二月末日に退職し、その退職後六か月以内に第一審被告と競業関係にたつ広告代理業を自営したことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、第一審原告が第一審被告に雇用されたのは昭和三七年五月七日であることが認められる。

2  第一審被告の就業規則二六条に、勤務三年以上の従業員が退職した場合には退職金を支給する旨規定されていること、その細則として退職手当支給規定(以下「本件支給規定」という。)があること、本件支給規定中に本件不支給条項があることは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、本件支給規定が定める退職金支給額の算出方法は概ね以下のとおりであることが認められる。

(一)  原則として、退職時の基準内賃金(基本給と役付手当)に勤続年数別の支給率を乗じて算出するが、更に減率を乗ずる場合がある。

(二)  支給率は、勤務三年の場合を二・五とし、勤務年数が一年増えるごとに、一〇年までは〇・五を、一一年から三〇年までは一を、三〇年を超えるときは〇・三を加えることとされており、勤続年数に端数月のあるときは月割計算をすることとなっている。

(三)  減率は勤続二〇年以下の者の自己都合退職(ただし、結婚、不具・疾病等の場合は除外される。)につき適用されるもので、四年未満の退職の場合が三〇パーセント減、以下勤続年数が長くなるにつれて減率は減少し、勤続二〇年未満の場合は三パーセント減、二〇年以上は〇とされている。

(四)  定年(満五六歳)退職の場合は、基準内賃金を一・二倍にして算出する。

(五)  在職中の功労が特に顕著な者には特別功労金(金額は予め定まっていない。)が附加されることがある。

(六)  懲戒解雇の場合及び退職後六か月以内に同業他社に就職した場合には退職金は支給されない(右の後段が本件不支給条項)。ただし、事情によっては、取締役会の決議によって金額を定め、支給されることがある。

3  以上の事実によれば、第一審被告において退職金制度の存在は、就業規則(その細則としての支給規定を含む。)を介して第一審原告との間の労働契約の内容になっていることは明らかであり、本件支給規定に基づく退職金(以下「本件退職金」という。)の支給額は基本的に基準内賃金と勤続年数に従って定まること、その支給条件及び支給額は明確であり裁量の余地は殆どないことに照らすと、本件退職金の性格は、従業員が継続してした労働の対償であり、労働基準法にいう賃金の一種であるといわなければならない(但し、2の(五)による本件退職金については、そう解することについて疑問がある。)。

次に本件退職金制度は、前記認定の算出方法に照らすと、それは、一定期間にわたって継続された勤務の全体が退職時に所定の基準によって評価され、具体的な金額が定められる性格のものであるといわねばならず、また、沿革的には退職金制度が使用者による任意的、恩恵的な給付を基礎として発達したもので、現在においても使用者は退職金制度を設けるか否か、設けるとしてその支給条件をどのように定めるかの裁量を有していることも明らかであって、これらの事実よりみると、本件退職金制度に功労報償的な性格のあることは否定できないところであり、本件退職金制度の前記認定の算出方法にも右性格を窺わせる部分の存在することが認められるところである。もっとも、この性格があるからといって、本件退職金が、恩恵的給付となるわけではなく、労働の対償である賃金の性格を失うことになるわけではないし、その功労の判定方法は、前記2の(五)は別として、前記のように、きわめて定型的に行われるものであって、前記のような基準に合致する事実のある限り、第一審被告は、所定の金額を支払う義務があるものである(不支給の特別規定については後に述べる。)。

そして、本件不支給条項は、前記のように第一審被告の就業規則を介して第一審原告との労働契約の内容となっているものであり、この事実に、右判示を併せ考えると、同条項がおよそ無効であるということはできず、同条項の働く場合には労働基準法二四条の定める賃金全額払の原則の適用はないものというべきである。右判示に反する第一審原告の主張は採用できない。

しかしながら、本件退職金(前記2の(五)によるものを除く。)が以上のように、継続した労働の対償である賃金の性質を有すること(功労報償的性格をも有することは、このことと矛盾するものでないことは、前記のとおりである。)、本件不支給条項が退職金の減額にとどまらず全額の不支給を定めたものであって、退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加える結果となる極めて厳しいものであることを考慮すると、本件不支給条項に基づいて、前記2の(一)から(四)までの支給額を支給しないことが許容されるのは、同規定の表面上の文言にかかわらず、単に退職従業員が競業関係に立つ業務に六か月以内に携わったというのみでは足りず、退職従業員に、前記のような労働の対償を失わせることが相当であると考えられるような第一審被告に対する顕著な背信性がある場合に限ると解するのが相当である。すなわち、退職従業員は、第一審被告に対し本件退職金の請求権を、右のような背信的事情の発生を解除条件として有することになるものと解される。いわば、このような限定を付されたものとして、本件不支給条項は有効であるというべきである(この判示は、第一審被告が当審で付加した主張(5) の趣旨にもある意味で合致するものといえよう。)。このように解することが、本件支給規定の中にあって本件不支給条項と同様に不支給を規定しているのが懲戒解雇の場合であることとも整合性を有するものと考えられる。そして、このような背信性の存在を判断するに当たっては、第一審被告にとっての本件不支給条項の必要性、退職従業員の退職に至る経緯、退職の目的、退職従業員が競業関係に立つ業務に従事したことによって第一審被告の被った損害などの諸般の事情を総合的に考慮すべきである。

4  そこで、まず、第一審被告において本件不支給条項を設けた必要性につき判断する。

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

第一審被告は、昭和二二年四月二一日中部日本新聞静岡版一手取扱広告代理店として本店を静岡県浜松市におき、東海広告株式会社との商号で営業を開始し、その後次第に営業規模を拡大して同三六年商号を現商号に変更し、同三九年本店を現所在地に移転し、同四二年四月以降中日新聞社専属の広告代理店となり、同六〇年当時で静岡県浜松市に支社を、愛知県岡崎市と豊橋市に支店を、静岡県静岡市と沼津市に営業所をそれぞれ置く資本金六〇〇万円、従業員約九〇名の会社であるが、第一審被告程度の規模の広告代理業者においては、全国的に営業網をもつ大手の広告代理業者と異なり、その営業活動は、営業担当従業員と顧客との個人的な結びつきに依存している場合が多く、当該従業員が退職して同業他社に就職し、あるいは広告代理業を自営したりすると、顧客も当該従業員の新たな就職先などに移転することが多く、それによって営業成績も相当程度に低下する虞があるため、第一審被告においては、退職従業員に対し、顧客との関係がほぼ途切れるものと思われる退職後六か月に限って第一審被告との競業避止を求める目的で本件不支給条項を設けている。

右認定事実よりみると、第一審被告において本件不支給条項を設けていることについては、競業関係に立つ業務に就くこと自体を禁止することが合理的であるかはともかくとして、この種の規定を設ける一般的必要性はあるものというべきである。

5  次に、第一審原告の退職の経緯及び第一審被告の被った損害の有無について判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一審原告は、昭和三七年五月七日第一審被告に雇用され、同六一年二月末日依願退職するまで同被告の営業部に属し、広告の受注などの業務に従事し、退職当時にはほぼ六〇軒の顧客を担当していた。同原告は、この間の同五九年四月一日同被告の第二営業本部本部長付部長に就き、(この事実は当事者間に争いがない。)、同六〇年四月一日兼ねて同被告岡崎支店長代理を命じられ、以来右部長としての業務のほか、同支店の業務にも従事していたが、同原告に事前の説明もなく、同年九月一日同被告第一営業本部営業三部兼岡崎支店部待次長の神谷和美においても兼ねて同支店長代理に命じられたことから、同支店における自己の地位に不安を覚えるとともに、二人の支店長代理がいたのでは互いに業務を遂行しにくいのではないかなどと考え、自己の判断で同年九月一二日以降同支店長代理の業務は同人に任せるとして同業務に就かず、その後も同被告専務取締役及び代表者から神谷和美とともに同業務を遂行することを求められたにもかかわらず、これに従わなかった(このため同年一一月二〇日同支店長代理の兼務を解かれた。)。

ところで、第一審被告においては、倒産した企業ないしその関連企業との取引は禁止されていたところ、第一審原告が同六〇年八月中ごろ代金(約一二四万円)前払いとの約定で同被告のために受注した新聞折込みちらしの注文者が同ちらし納品後も代金の一部(一〇ないし二〇万円)を支払ったのみで残代金を支払わず、かつ、同年一一月にいたって従前倒産した企業に関連する者であることが判明したことから、そのころ、同原告は、同被告の管理職を集めた会議の席上、専務取締役から再三にわたって厳しく叱責された。

そして、第一審原告は、同六〇年一二月四日付をもって、前記のとおり岡崎支店の勤務を怠ったこと及び倒産関連企業と取引したことを理由に、第一審被告より、第二営業本部長付部長から同部長代理への降職、同年一二月から同六一年二月まで総支給額の一〇分の一の減給、奨励金の支給停止、各賞の二分の一の支給停止との懲戒処分を受けた(同原告が右同日付で右の懲戒処分を受けたことは当事者間に争いがない。)。そして実際には右処分前の同年一一月についても、後記認定のとおり従来から支給されていた奨励金(各賞を含む)が全く支給されず(同月奨励金が支給されなかったことは当事者間に争いがない。)、かつ、右処分により基本給のほかに奨励金(各賞を含む)まで支給停止ないし制限され、同年末の賞与についても大幅に減額されて三〇万円(前年のほぼ三分の一)の支給を受けたに止まったことから(以上の支給額は、後に判示するように、第一審原告に本来支給されるべき金額を大きく下まわるものであって、その意味で一部違法なものである。)、次第に生活の維持に不安を覚えるとともに第一審被告に勤務する意欲を失い、同六一年二月の初めになって退職を決意するにいたり、同月一三日、同月一五日をもって同被告を退社したい旨の退職願いを提出し、同月末日同被告を依願退職し、その直後から自らの生活を維持する必要から案内広告の受注を主とする広告代理業を営んで現在にいたっている。

以上の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

この事実に照らすと、第一審原告においては、自らの不相当な行為に起因するところがあるとはいえ、第一審被告から、一部違法な賃金削減を含む厳しい対応をされ、事実上、退職に追い込まれて同被告を退職し、その生活のために、同被告と競業関係に立つ広告代理業を自営するに至ったものと判断され、退職に当たり第一審被告に損害を与える目的があったなど、第一審原告の退職時の事情として、特に非難されるべき事情があったと認定することは困難である。

もっとも、<証拠>によれば、(1) 第一審原告は、昭和六一年二月一三日第一審被告に対し何ら予告することなく同月一五日をもって退社したいとの退職願いを提出し、同被告専務取締役の説得を受けて退職日を同月末日まで延期し、後任者に自己の担当していた顧客を引継ぐための措置を採ることとしたものの、右顧客六〇軒余のうち一二軒について後任者と挨拶回りをしたのみで、その余については引継ぎのための訪問はしなかったこと、(2) 同被告においては、同原告の退職前の同六〇年一月から同六一年二月までの間(但し、同六〇年八月と一二月を除く。)、同原告の担当していた顧客から月額一〇〇〇万円を超える売上高を得ていたが、同原告の退職後の同六一年三月にはそれが月額五六〇万円余に減少し、その後同年一二月までの各月においてもその売上高は同年三月のそれにも達せず、取引の途絶えた顧客もいること、(3) 同原告は、前記のとおり広告代理業を開始したのち、同被告に在職中に担当していた顧客のうち一二軒を下らない顧客と取引をもっていること(この結果、これら顧客と同被告との取引は途絶えた。)が認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、第一審原告が前記のように挨拶回りをした顧客一二軒は、後任者と相談をしてその合意の下に、その売上額、発注の規則性などから見て重要な顧客と考えられるものを選定したものであることが認められること並びに前記認定の第一審原告が第一審被告を退職し、広告代理業を自営するにいたった経緯に照らすと、右認定の各事実のあることをもって、直ちに同被告を害する目的があったなど、同原告の退職時の事情として、時に非難されるべき事情があったものと認定することは難しい。また、<証拠>によれば、同原告の退職後、同被告において同原告の担当していた顧客との取引を維持継続するための営業活動を怠ったことにより、あるいは顧客の都合により同被告との取引が途絶えたものもあることが推認されるし、<証拠>によれば、昭和六一年三月分以降の売上高が同年二月分の売上高に比べて減少した取引先は、同表中の、第一審原告が退職後取引を行っている取引先以外にもあることが認められる。これらの事実よりみると、同原告が前記営業を始めたことが原因となって、前記認定のとおりの額だけ同原告の退職後同被告の売上高が減少したものと認定することも相当でない。更に、同原告が同被告において担当していた顧客からの売上額が同被告の総売上額のうちでどの程度の割合を占めていたかも明らかでなく、したがって、同原告が前記営業開始後、同原告において前記顧客と取引を始めたことが同被告に全体としてどの程度の不利益を与えたかも明らかでない。以上の事実よりみると、同原告が前記営業を始めたことにより同被告が大きな影響を受けたとまでは認めることができない。

他に、第一審原告の退職以後の行動で、前記のような背信性を満たすに十分なものを認めるに足りる証拠もない。

6  以上の判示によれば、第一審被告において、第一審原告に本件不支給条項を適用することは許されないものといわねばならず、同原告は、本件支給規定の原則に従って退職金請求権を有するものというべきである。

なお、第一審被告は、第一審原告において退職金請求権を放棄した旨主張し、<証拠>によれば、第一審原告は、前記退職にあたって第一審被告の役員から退職金の額が三五〇万円程度であること、退職後六か月以内に同被告と競業関係に立つ業務に従事したときには、退職金が支給されないこと、したがって、同期間内は同業務に従事しないように告げられたことは認められるが、右各証言によっても、同原告において退職金請求権を放棄する旨明確に表示したものとは認め難く、他に右放棄の事実を認定するに足る証拠はない。

7  そこで、本件支給規定に従って第一審原告の退職金を算出する。

第一審原告の退職時の基準内賃金が一七万六五〇〇円であったことは当事者間に争いがなく、前記1の認定事実に照らすと、同原告の勤続年数は二三年一〇か月というべきところ、<証拠>によれば、この場合の支給率は一九・八三三三三であり、二〇年を超える勤続であるから、減率の適用はないことが認められる。

よって、右基準内賃金に右の支給率を乗ずると、三五〇万〇五八三円(円未満四捨五入)となり、第一審原告は、退職時に右金額の退職金請求権を取得したものというべきである。

二  未払賃金請求について

(賞与を除く賃金について)

1  <証拠>によれば、第一審被告は、就業規則において従業員に支給する賃金の種別として基準内賃金(本給、役付手当)と基準外賃金(精勤手当、家族手当、営業外勤手当、住宅手当、清掃手当、時間外手当、休日出勤手当、宿日直手当、補正金、通勤手当)があること、賃金は毎月二五日に支給する旨定めているところ、<証拠>によれば、第一審被告においては、就業規則に定める前記賃金のほかに従来から従業員に対し、奨励金との名目のもとに毎月二〇日に金員を支給している(これは毎月の賃金支給日たる二五日に前払金として処理されている。)ことが認められる。

2  そこで、右の奨励金が賃金に当たるか否かにつき判断する。

<証拠>によれば、次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

奨励金は、狭義の奨励金、即金賞、担当賞、マガジン賞とからなっているところ、まず、狭義の奨励金は、遅くとも昭和五三年ごろから営業を拡大し、従業員の志気を鼓舞する目的で支給されているもので、代表者がほぼ当審における第一審被告の付加主張の基準に従って毎月支給対象者と支給額を決定するが、その決定はあくまでも代表者の裁量に委ねられ、従業員において支給額はもちろん支給されるか否かも予測できない性質のものである。次に、即金、担当、マガジンの各賞は、いずれも、第一審被告名古屋本社に勤務する従業員に遅くとも同五八年ごろから支給されているもので、毎月、前月の各従業員の営業成績に基づき同被告の前記付加主張の支給基準に従って専務取締役の作成した資料を基に、代表者が支給対象者・支給額を決定するが、特段の事情のない限り右支給基準に該当する業務を達成した従業員に同基準にしたがって算出された金員を支給しており、従業員に対して右各賞の支給基準は公表されていないものの、従業員らにおいては右各賞が設けられて以来、それらに該当する業務を達成すれば、達成した業務に対する一定割合の金員が翌月二〇日に支給されることを予定し、これを賃金の一部と認識していた。右認定事実よりみると、奨励金のうち狭義の奨励金に該当するものは、支給条件も明確でなく、支給対象者と支給額は総て代表者の裁量によって決定されることは明らかであって、第一審被告において従業員に支払義務を負担し、従業員にその請求権が保障されているものと認定することは困難であるというべきである。これに対し、前記認定の各賞に該当するものは、従業員に支給条件が公表されていないとはいえ、遅くとも昭和五八年ごろから毎月特定の業務を達成した従業員に一定の基準に従って支給され、当該業務を達成した従業員からも支給されることを期待されていたことは明らかである。したがって、支給基準に従った支給をすることが第一審被告の法律上の義務と解すべきであり、右各賞は、労働基準法上の賃金に該当するものというべきである。この判示に反する前掲大嶽公一の証言部分及び第一審被告代表者本人の尋問結果部分は採用できない。

3  ところで、前記一項5に認定した経緯により第一審原告が昭和六〇年一二月四日付で第一審被告から同項5に認定した降職と減給などを内容とする懲戒処分を受けたことは明らかであるところ、<証拠>によれば、第一審原告は、昭和六〇年四月から同年一〇月まで第一審被告より毎月別紙(一)の各賃金などを支給され(同原告が右各賃金などのうち奨励金を除く各賃金の支給を受けていたことは当事者間に争いがない。)、同年一一月にも奨励金を除いて同額の賃金の支給を受けたが、前記懲戒処分により同年一二月から降職にともなうものとして役付手当二万五〇〇〇円を二万円に、総支給額の一〇分の一減給にともなうものとして補正金一〇万九五〇〇円を六万七七〇〇円にそれぞれ減額され、奨励金(各賞)についても、二分の一の支給停止にともなうものとして同年一二月にマガジン賞八万四〇〇〇円の、同六一年一月に同賞三万六八〇〇円の、同年二月に同賞八万一六〇〇円と即金賞八〇〇円の各支給を受けるに値する業務を達成していたにもかかわらず、同六〇年一二月分は五万円に、同六一年一月分は一万八四〇〇円に、同年二月分は合計四万一二〇〇円にそれぞれ減額され、その結果、同六〇年一二月から同六一年二月まで別紙(二)の各賃金を支給されたにすぎなかったことが認められる。

4  第一審原告は、第一審被告のなした前記懲戒処分は同原告が前記一項5認定のとおり同被告岡崎支店の勤務を怠ったことと倒産関連企業と取引したとの事由に対し降職と減給との二つの懲戒処分をなしたもので、違法無効である旨主張するが、同被告のなした前記懲戒処分は同原告の前記行為に対し二つの懲戒処分を併科したものというべきであって、右行為に対し降職と減給との懲戒処分を異なる時期に科したものでないことは明らかであるところ、同被告の就業規則には異なる懲戒処分の併科を禁ずる規定はなく、また、右の併科を違法無効と認定するに足る事情を認めるべき証拠もない。

しかし、前記懲戒処分により同原告に支給された賃金のうち、降職にともない役付手当が月額二万五〇〇〇円から二万円に減額されたことは止むを得ないとしても、前記3認定のとおり補正金を減額し、奨励金(前記各賞)の一部を支給停止としたことは、労働基準法九一条の趣旨に反し、同条に規定する制限を超えてなされた減額部分は無効というべきである。

すなわち、前記1ないし3の認定・判示及び労働基準法九一条の趣旨に従えば、第一審原告に対しては、前記懲戒処分によっても、昭和六〇年一二月には別紙(一)のとおり毎月支給されていた奨励金を除く賃金のうち役付手当を二万円とした合計額三三万一〇〇〇円に同月支給されるべきであったマガジン賞八万四〇〇〇円を加えた金員の、同六一年一月には右合計額に同月支給されるべきであった同賞三万六八〇〇円を加えた金員の、同年二月には右合計額に同月支給されるべきであった同賞八万一六〇〇円と即金賞八〇〇円を加えた金員の各一〇分の九に相当する賃金がそれぞれ支給されるべきであったにかかわらず、別紙(二)のとおりの各金員が支給されたにすぎないことが認められる。

したがって、第一審被告は、第一審原告に対しその各差額の合計九万九三八〇円(同六〇年一二月分三万四三〇〇円、同六一年一月分二万三四二〇円、同年二月分四万一六六〇円)を支払うべき義務がある。

5  また、第一審被告が第一審原告に対し昭和六〇年一一月に奨励金を支給しなかったことは当事者間に争いがないところ、<証拠>に前記2の判示を併せ考えると、第一審原告は、同月一〇万一一〇〇円のマガジン賞を支給されるに値する業務を同年一〇月に達成していたことは明らかであり、第一審被告においてはこの支給義務を負うものといわねばならない。

6  なお、第一審原告は、第一審被告が昭和六〇年一一月奨励金を全く支給せず、同年一二月から同六一年二月まで一〇分の一を超える賃金を減額した行為は不法行為を構成する旨主張し、それに基づく損害の賠償を求めるが、前記4、5の認定に照らすと、右主張にかかる損害額は前記4、5において第一審被告に対し支給義務を認めた金員と同額であるというべきであるから、前示のとおり右同額につき支払義務を認めた以上、この点についてそれ以上に判断を示す必要はない。

(賞与について)

<証拠>によれば、第一審被告の就業規則には、従業員に毎月二五日支給する賃金のほかに毎年六月と一二月に賞与を支給するが、その査定は職務ならびに勤務成績・出勤率・社員姿勢等すべてを勘案して行う旨定められていることが認められるところ、<証拠>によれば、賞与の査定は、当審における第一審被告の付加主張の基準にしたがって同被告代表者が行っており、個々の従業員に毎月支給される賃金額に対する割合で査定されることはなく、また、従前に支給された賞与の額もその査定にあたっての参考資料の一つにすぎないことが認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

そして、前掲第一審被告代表者本人の尋問結果、弁論の全趣旨によれば、第一審被告は、右認定の基準にしたがって昭和六〇年一二月第一審原告に支給する賞与を三〇万円と査定したことが認められるところ、この査定が違法であると認定するに足る事情を認めるべき証拠はない。

三  以上の次第で、第一審原告の本訴請求は、第一審被告に対し退職金三五〇万〇五八三円とこれに対するその履行期の後である昭和六一年一一月六日から、未払賃金二〇万〇四八〇円とこれに対するその履行期の後である同六二年一〇月一〇日から各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よって、第一審原告の控訴に基づき原判決を右の趣旨に変更し、第一審被告の控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤滋夫 裁判官 宮本増 裁判官 谷口伸夫)

別紙<省略>

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